なんか旅人時代を思い出したので

ちょっとだけ、昔の旅の風景をアップします。

ススキバンバンから、ヤマハRX50ミッドナイトスペシャルに乗り換えた1983年。

一回目は会社を辞めたのが10月中旬だったので、

出発は10月末、層雲峡で一泊した後、雹の降る中、砂利道の三国峠を走った。

カッパも何も持っていなかったので、タープテントをカラダに巻き付けて、

震えながら走っていたっけ。

雹がヘルメットに当たり、かなりやかましい旅だった。

辿り着いた白糠のユースホステルで反対から来た、二人の東北のライダーと合う。

その時、「三国峠を走らなかったら北海道に来た意味はないしょ」なんてことを言ってしまった。

しかし翌日、大雪になり峠は冬期封鎖に入った。

彼らは三国峠に向かったのだろうか?

もちろん、カメラも持っていなかったからその時の写真はない。


1984年のツーリング。

一回目の経験から、準備万端整えて、いざ出発。

札幌出発が午後だったので、小平のユースに一泊。

これは翌日の朝、出発前の写真。

彼とはこの時はじめて話をした。

テントがないと聞き、稚内で一緒にキャンプすることにした。

相手はカワサキの400cc.ペースも合わないし、

別々出発。

ユースホステルで別れた彼とは稚内森林公園で合流。

僕の三角テントで寝た。

これは2日目の朝。とりあえず、なんとなく集合写真。

それにしてもキャンプ地の朝は早い。

たぶん、まだ7時前。

後方のパーマの若者は自転車で走ってる東京人。

このあと、東京方面から来た前面のメガネ君が、財布を落としたとさわぎだす。

キャッシュカードは無事だからいいと言っていたが、

三菱銀行って稚内にあったけ?

日本最北端の地でパシャリ。

なんて気持ちのいい朝だ。

行くぞ!

バイクを港に置き、荷物をしょって利尻に向かう。

キャンプ地で合った自転車少年ともうひとり。

自転車ツーリストには頭が下がる。

峠も雨もトンネルも危険だらけ。

自分の力だけで旅を続けてる彼らは偉い。

だから、すれ違う時は、思いっきり手を振るようにしていた。

ここは利尻、オシドマリのキャンプ地。

むこうに見えるのが夏でも雪が残る利尻富士だ。

利尻に着いたらどんより曇り空。

自転車少年二人と、

あと二人は車で旅行中の北大生。

僕はその車でヒッチハイクして回っていた。

しかし、島の表と裏でこんなに天気がちがうとは・・・。

オシドマリではなぜか自転車少年たちと

三角テントで食事することが多かった。

パーマ君は東京の魚屋さんでバイトしてたそうで、

買い出しに行ったらつい、サンマを買って来てしまった。

困っていたので、僕はそれを石焼きにしてみんなで食べた。

想像以上に旨かった。

これは利尻の見ての通りの姫沼。

やぶ蚊が多くて、どこが姫なんだよと思いつつ撮ってもらった。

撮ってもらった人はドラマや映画の音声さん。

ワンクール終了すると旅をしているそうだ。

僕がたまたまヒッチハイクしたんだけど、

ドラマや女優の裏話をいろいろ聞かせてもらった。

世の中はいろんな人で回っているんだ、と実感した。

これは、北大生の車でドライブ中、自転車少年たちと遭遇。

ま、そんなに大きくないし、道は一本きりだから、

どこかで合うにはちがいない。

オシドマリのキャンプに戻ると、やっぱり曇天。

利尻の海は物凄く冷たい、外はけっこう寒い。

そして夜は、霧がかかり、夜中じゅう灯台のサイレンが僕らを苦しめた。

シュラフもなかなか乾かない。

島を後にし、海沿いを東に走っていたら、突然、風車。

実際、風車を見たのはこの時が最初で最後。

猿払村だったかなあ?

思わず撮ったが、たいした写真じゃないね。

なんと、クッチャロ湖で、北大チームと再会。

僕は夜中、到着だったので、気づかなかった。

朝、起きたら、「アンタ達居たの」

って感じ。

ここがバイク野郎の聖地の開陽台。

行って見たら「えっ、これだけ?」

たしかに、見晴しはいいけれど、

道民から見たらけっこうありふれた風景。

『地球が丸く見える』

・・・

これはおおげさだな。

ここは、ここへ来るまでの道が名物のようだ。

今は観光化が進み、まったくちがう風景らしい。

これが、その道。

地平線まで道がまっすぐにのびている。

こりゃあ、走りたくなるさ。

途中、道ばたでタバコを吸っているとドコドコドコと大きいバイクが

僕のバイクの後ろに止まる。

なんとなく、横に座って青い空をながめて、

「平和だねー」

「へいわだねー」

「実は、おばあちゃん殺してここに来てるんだ」と。

なに!

良く聞くと、このツーリングのために、休暇の前倒し理由だったそうな。

わかる。

聞くと彼は自衛官でこの国に何かあったら命に変えても守ろうと思っていると。

しかし、守ろうとしている日本人に

自衛隊なんかいらないと言われると、

なんか空しいと言っていたっけ。

たしかに、この時代、そういう風潮だった。

今でもこの出来事をしっかり覚えているのは、この話が僕にとっては衝撃的だったからだ。

小学校から高校まで、先生達の多くは反自衛隊、反天皇を主張していたからね。

僕も何となくそう思っていた。

でもね、世の中出るとね・・・ちがうのさ。

今思うと、あれ、まずいよね。

・・・

おっと、横道に行ってしまった。

もどる、もどる。

上の写真はその彼と別れて、天気が急変。

雨が降り、風が吹き、寒くなって来ての一枚。

顔がしょぼい。

これはどこだったかなあ?

どっかのキャンプ場の建物の横だったのはわかるんだけど。

うー、わからん。

ただ、金曜ロードショウのオープニングのようで、

ニニ・ロッソの曲が似合いそうな風景だった。

道東は、夏なのに寒い。

どこかの商店でたまらず、トレーナーを買った。

出費を押さえていたのだが、天気も気温も風も、全て向い風だった。

この前か、後か忘れてしまったが、

人生最大の危機があった。

熊出没、注意の看板がそこら中に立つ半島で迷ってしまったのだ。

そして、あっという間に真夜中。

あれ?また、ここだ。

そのうち2サイクルオイルが乏しくなり、

寒さは増し、疲労はピークに達した。

(ちなみに道東では2サイクルオイルは手に入れにくい)

このまま走っていたら、崖に落ちるかどこかに激突する。

バイクが完全に動かなくなる可能性もある。

仕方なく、道ばたにテントを設営することにした。

設営はしたが感覚が鋭敏になり、少しの物音にも敏感に反応する。

・・・

『明日の朝はないかもな』

昔の人はこんな思いで毎日を過ごしていたのかもと思うと、

それだけで、日常のしあわせを感じてしまう。

ま、無事、朝を迎えることで今があるんだけどね。

キャンプ後、なんであんなに迷ったのか今も理解できない。

上の写真は屈斜路湖の砂湯に入った後の様子。

ツーリストと言うより、ただの野外生活者のようだ。

道東のどっかの公園。

温泉が沸いていて、125ccバイクの彼と入る。

旅の恥はかき捨てを信じて、観光客がいる中、二人で入った。

気持ちいいんだけど、上がるタイミングがむずかしいんだよね。

そうそう、思い出した。

彼は中型の免許とったのだが、

中型バイクが買えずに、125ccでまわってるそうだ。

しかし、彼で一番驚いたのが、彼の履いていたコンバースのズック靴。

所々穴が空いてい、糸もほつれていた。

ここまで履き潰してる靴は、これ以前もこれ以降も見ていない。

しかし、

それがなんとも、良い風情で、オシャレにも思えたのも事実。

ヘビーデューティー!!

僕がその靴を指差して、良いねえと言うと、

みんなにそう言われるんだと。

「じゃあ、交換するかい」と言うと、

みんな断るんだとも言っていた。

彼自身は、オシャレより穴のない靴の方がいいみたいだった。

あー、あれだけでも写真に取っておけば良かった。

それだけの価値のあるコンバース、ワンスターだった。

履きたいとは思わないけどね。

この頃になると、マウンテンパーカーも疲れて来ている。

美幌峠も上りと下りで天気がぜんぜんちがっていたな。

この後、白糠のユースホステル、富良野で一泊ずつして、札幌に向かう。

しかし、写真はない。

これは自宅に戻って、風呂に行き、

友人に預けていたハムスターと再会の写真。

ゴーグルとのびていたヒゲのとこだけ、日焼けしてないので、

かなりかっこわるい。

そう言えば、旅をして戻って来ていつも感じることがある。

ああ、こんな部屋だったか。

ま、すぐになじむんだけどね。

あの不思議な感覚が好きだ。

(2019.12.15)